外国人が見た日本(近代以前の日本にみる動物との共生) 〜ハリスと牛乳〜

ハリスと牛乳

19世紀中ごろ、産業革命によって大航海時代から続く植民地獲得競争が加速すると、アメリカ、イギリス、フランスなどの諸国は、貿易ルート獲得のため、アジアに進出してきました。イギリスがアヘン戦争によって中国から香港を割譲したり、インドを実質的な支配下に置いていたのもこの時代です。ヨーロッパ諸国は日本にも開国を求めて押し寄せて来ました。

アメリカ合衆国の初代駐日総領事として1856年8月に日本に上陸したタウンゼント・ハリスは、その後5年9か月にわたって滞在し「日本滞在日記(The complete journal of Townsend Harris: First American consul general and minister to Japan)」を書き残しています。

最初の滞在先となった伊豆下田の玉泉寺では、
「蚊のために眠れなかった。蚊は、たいへん大きい」
「コオロギ族の奇妙な昆虫の声をきく。その鳴き声はあたかも全速力で走る豆機関車のようであった」
部屋の中には蜘蛛や蝙蝠、ネズミがいたとも記録しています。

 

食用品や蚊帳を探し出したり棚や家具を取り付けたりといった長期間の駐在のための用事を済ます中、牛乳が飲みたいと言ったハリスに対し、大日本古文書『幕末外国関係文書』の記録では、「牛乳の儀申し立てられ候趣をもって、奉行へ申聞候ところ、右牛乳は国民一切食用致さず、殊に牛は土民ども耕作、その外山野多き土地柄故、運送のため飼ひおき候のみにて、別段繁殖いたし候儀更にこれなく、まれには児牛生れ候これあり候ても、乳汁は全く児牛に與へ、児牛を重に生育いたし候こと故、牛乳を給し候儀一切相成りがたく候間、断りにおよび候」
(牛乳の要望があったので奉行に伺ってみたところ、牛乳は国民は一切飲まず、とくに牛は耕作のため、山野が多い土地柄で運送のために飼っているだけで、繁殖しているわけでもなく、まれに子牛が生まれても牛乳は子牛に与えて生育させるためのものなので、それには一切お応えできないと断った)とあります。

 

※引用文には配慮すべき歴史的表現がありますが、当時の様子を正確に伝えるため、あえてそのまま使用しています

さらに、「では自分の手で牛乳を搾るので母牛をください」といったハリスに、
「牛は耕作や運送のために第一として住民が大切にしているので、他人に譲り渡すこともできません」
と、断られています。その後、幾度もねばって交渉したためか、最終的にはハリスは牛乳を獲得することができたようで、下田の開国博物館には、牛乳代金などの明細書が展示されているようです。

 

また、ハリスは「家の鶏を全部、牝鶏か牝の雛にしてほしい」(卵をとるため?)と頼んだようですが、「日本では何時でも番(つがい)で孵化するのだから、番(つがい)でなければだめ」と言われてしまったようです。ちなみに、敬虔なプロテスタントであるハリスは、日本の奉行などが日曜日にあたる日に訪ねてきた場合、「安息日である日曜日は仕事をしません!」と言って頑なに断っています(注1)。
役人が「ペリー提督との交渉時はそんなことはなかった」(注2)と主張しても、拒否して自分の姿勢を貫いています。

 

注1:日曜日を「安息日」として休日とする考え方はユダヤ教キリスト教からきており、日本では太陽暦が取り入れられた明治以降に普及しました。


注2:この役人の主張は誤りのようで、記録によればペリー提督も、どんなに位が高い役人が艦を訪れても日曜日は断り続けていたようです。

 

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