ハリスが見た日本の自然~下田の植物~

外国人の記録には異国、日本で目にした文化や風俗、人々の様子なども描きとめられており、その中には気候やその土地の植物の描写もふくまれます。彼らの母国とは異なった日本独自の植生が驚きとともに描かれていて面白いです。

 

ハリスは公務の合間に散歩によく出かけています。当時外国人には外出制限がもうけられていたため遠くまでは行けませんが、滞在先である下田の周辺に出かけたり、たまに制限外の場所にまで無理やり奉行を説得して出かけたりしています。
その先で目にした人々の様子や自然の美しさを日記に書きとめていますが、その中でもハリスが滞在していた下田の植物の種類がすごく豊富で美しいため、描きとめておこうと思います。

 

下田に上陸し、滞在先の屋敷の自室を掃除したり、棚や押し入れ、食卓を備え付けたりといった片付けなども落ち着いてきた1856年10月23日の日記には、「うららかな日。天気は十月のニュー・ヨークのように気持ちがよく、穏やかである。しかし、大気の中に煙も靄もない。そして、夜も寒暖計は六十度(注1)を下ることがない。五里ばかり散歩をした。」からはじまり、「江戸湾岸の外浦村を通り過ぎ、柿崎の背後にある名前を知らぬ村を通って帰った。今日は桜、桃、梨、柿の木、葡萄の蔓、蔦、新しい葉をつけた蜀葵(タチアオイ)、ひじょうに美しい水蝋樹(イボノタキ)、多くの羊歯(シダ)、多種の松樹、杉、針樅、樅、樟(クスノキ)を見た。日本椿は、当地では密林をなしていて、焚木に伐り出される。普通の薔薇の叢生を二、三見たが、花をつけていなかった。私が名前を知っている花の中には、野生ヒヤシンス、ふうりん草、私が東洋で見た最初のスコットランド薊(アザミ)、三色菫(すみれ)、黄色シャムロック、雛菊、その他、形はよく知っているが、名前を知らないもの、それから私には初めてのものなどが多数あった。自分が植物学者であったらよかったのにと、どんなに思ったことか。」と記しています。

 

また、別の日には「今日は森の中で一株の矢車草を見つけて、いたく感動した。この楚々たる花は、その芳香と共に、故国についての多くの連想を私におこさせたので、ホームシックの気味になり――すなわち一時間ばかり物悲しい気分にさそわれた。」と書いています。商人だったハリスは日本を訪れる前にも、タイや中国などを訪門していますが、その頃のヨーロッパ人にとっては日本は全く未開の地でした。そんな辺境ともいえる土地でたった一人(他の国の領事や通訳兼書記のヒュースケンがいるくらい)はじめての総領事としての役割を果たさねばならなかったのは、旅慣れたハリスでも心細かったと思います。


そんな中、植生ゆたかで温暖な下田を散歩することはハリスの心身の健康のにも良い影響を与えてくれていたようです。「ヘリオトロープと新種の五月花が開花しているのを発見した。(中略)私の幾人かの女の知人に、日本の野花の束を贈ることができたならばと思う。」とも書いています。

 

(注1)アメリカでは現在でも温度は摂氏(℃)ではなく華氏(℉)で表されます。0℃=32℉なので、60℉は約15℃となります。

 

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