外国人が見た日本(近代以前の日本にみる動物との共生) 〜鳥類と日本人 その2 「鶏」〜

ハリスは日本滞在中、幕府や現地の奉行からさまざまな贈り物をもらっています。その中でよく見るのが鶏です。


日本に到着した際、上陸先の下田奉行(井上信濃守清直)から鶏と鶏卵をもらったという記録があります。このころの鶏は、日本の庶民の間では主に、卵をとるために飼育されていたようです。

 

明治の初めに日本を訪れたアーサー・クロウは「日本内陸紀行」(Highways and byeways in Japan:The experiences of two pedestrian tourists)の中で、
「一つは血を流すことを忌む仏教徒の掟によって、またひとつには彼らの情け深い性質によって、日本人はめったにその家禽を、殺されると分かっていれば、手放そうとしない。もっとも、その玉子をとるのは平気である。家禽は普通一家の愛玩動物で、歩きたければ畳敷きの部屋の中を歩きまわることも許されている。」と言っています。

 

同じく明治初めごろに日本各地を周り『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)を記したイザベラ・バードも「食用のためにはいくらお金を出しても売ろうとしない。だが、卵を生ませるために飼うというのであれば、喜んで手放す。」と書いています。

 

1863年に通商条約締結のため来日したスイスのエメ・アンベールは『幕末日本図絵』(Le Japon Illustré) の中で、下記のように記しています。
「鶏類は、寒帯地区を除いて、広く増殖されており、日本では、ヨーロッパでよく見られる鶏をすでによくこの地の気候に馴らして、多くの新種をつくり出している。品種の交換ないし支配は、相当昔から行われていたようである。気候に馴化された鶏舎で、日本の使節たちに、この品種はどこの鶏か知っているかと尋ねたところ、彼等は『多分、われわれがオランダの鶏と称している品種であろう』と答えた。」

 

伊藤若冲の絵にもみられるように、日本では鶏は誇り高く神々しい存在としても考えられていたようです。中国から伝わった「文、武、勇、仁、信」の五つの徳を備えた霊長とする考え方もありました。西洋のように食用に品種改良を行うのではなく、日本では「長鳴鶏」「尾長鶏」など鳴き声や観賞用としての品種改良がおこなわれていたようです。一方では闘鶏という悲しい文化に発展したりもしています。闘鶏自体の記録はすでに平安時代にみられるようです。その頃は「鶏合(とりあわせ)」として、公家や貴族の間で行われ、戦わせるというよりも鶏の鑑評会としての目的が強かったと言われています。現代の闘鶏に用いられる「軍鶏」は江戸時代にタイから伝わった(その頃のタイの国名「シャム」に由来して「軍鶏(シャモ)」)とされています。

 

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外国人が見た日本(近代以前の日本にみる動物との共生 ) 〜鳥類と日本人 その1〜

ハリスは日記の中で「日本では野生の動物が人馴れしている」とも言っています。ハリス以外にも様々な外国人が驚きとともに言及しており、保護されていた大型野鳥以外の鳥にもそれは言えるようです。

 

『グレタ号日本通称記』を記した安政五年(1858年)に日本を訪れたドイツ人F.A.リュードルフは、「鳥という鳥が、みなよく人になれているのにはまったく驚く。たとえば、鴨が、われわれのボートのすぐそばまで来たり、雀が人家に入る。こうしたことは、狩猟の禁止に原因があるらしい。鳥獣を撃つことは、厳重に禁ぜられている 」
「野性の烏(カラス)でも狙われることはないので、まったく物怖じしていない」

 

明治初期に日本を訪れ、大森貝塚を発見したことでも有名な動物学者、エドワード・S・モースは著書の『日本その日その日(Japan Day by Day)』の中で、「鳥、殊に烏が如何に馴れているかを示す事実」として、「車夫が人力車の後に灯をぶら下げておいた所が、人力車から三フィート(約1メートル)とは離れていない所で私が外套を着ているのに、烏が一羽下りて来て、車輪にとまり、紙の提灯に穴をあけてその内にある植物性の蝋燭を食ってしまった」、「烏は不親切に扱われることがないので、非常に馴れている。まったく、野獣もすべて馴れているし、家畜は我おう国のものよりもはるかに人に馴れている」さらに、「舷によって魚を洗っている女をカラスがそばにとまって見ていた」ことなども挙げています。

 

余談ですが、日本だけでなく、人間の介入を受けていない土地では鳥たちは無防備なようです。日本へ向かう航海の途上、大西洋で寄港したアセンション島で、海つばめの一種、アジサジが卵を産みに集まってきていたときの様子を、ヒュースケンはこのように書き残しています。
「鳥は踏まれそうになるまで卵の上に坐っており(中略)この鳥は手で簡単に捕獲できる。(中略)彼女たちは粘り強く自分の居場所を離れまいとした。私たちの一挙手一投足を見守っているところは、いかにも母鳥らしい用心深さであった。その鳥たちの信頼につけこんで、石を投げつける人がいた。安心しきって、愉しげに人のまわりを飛んでいる多くの小鳥に、石を投げつけるというのは、何とあさましい勇気、(中略)人間は他のすべての猛獣よりも、もっと残忍な動物ではないだろうか。」

 

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外国人が見た日本(近代以前の日本にみる動物との共生) 〜ハリスと牛乳〜

ハリスと牛乳

19世紀中ごろ、産業革命によって大航海時代から続く植民地獲得競争が加速すると、アメリカ、イギリス、フランスなどの諸国は、貿易ルート獲得のため、アジアに進出してきました。イギリスがアヘン戦争によって中国から香港を割譲したり、インドを実質的な支配下に置いていたのもこの時代です。ヨーロッパ諸国は日本にも開国を求めて押し寄せて来ました。

アメリカ合衆国の初代駐日総領事として1856年8月に日本に上陸したタウンゼント・ハリスは、その後5年9か月にわたって滞在し「日本滞在日記(The complete journal of Townsend Harris: First American consul general and minister to Japan)」を書き残しています。

最初の滞在先となった伊豆下田の玉泉寺では、
「蚊のために眠れなかった。蚊は、たいへん大きい」
「コオロギ族の奇妙な昆虫の声をきく。その鳴き声はあたかも全速力で走る豆機関車のようであった」
部屋の中には蜘蛛や蝙蝠、ネズミがいたとも記録しています。

 

食用品や蚊帳を探し出したり棚や家具を取り付けたりといった長期間の駐在のための用事を済ます中、牛乳が飲みたいと言ったハリスに対し、大日本古文書『幕末外国関係文書』の記録では、「牛乳の儀申し立てられ候趣をもって、奉行へ申聞候ところ、右牛乳は国民一切食用致さず、殊に牛は土民ども耕作、その外山野多き土地柄故、運送のため飼ひおき候のみにて、別段繁殖いたし候儀更にこれなく、まれには児牛生れ候これあり候ても、乳汁は全く児牛に與へ、児牛を重に生育いたし候こと故、牛乳を給し候儀一切相成りがたく候間、断りにおよび候」
(牛乳の要望があったので奉行に伺ってみたところ、牛乳は国民は一切飲まず、とくに牛は耕作のため、山野が多い土地柄で運送のために飼っているだけで、繁殖しているわけでもなく、まれに子牛が生まれても牛乳は子牛に与えて生育させるためのものなので、それには一切お応えできないと断った)とあります。

 

※引用文には配慮すべき歴史的表現がありますが、当時の様子を正確に伝えるため、あえてそのまま使用しています

さらに、「では自分の手で牛乳を搾るので母牛をください」といったハリスに、
「牛は耕作や運送のために第一として住民が大切にしているので、他人に譲り渡すこともできません」
と、断られています。その後、幾度もねばって交渉したためか、最終的にはハリスは牛乳を獲得することができたようで、下田の開国博物館には、牛乳代金などの明細書が展示されているようです。

 

また、ハリスは「家の鶏を全部、牝鶏か牝の雛にしてほしい」(卵をとるため?)と頼んだようですが、「日本では何時でも番(つがい)で孵化するのだから、番(つがい)でなければだめ」と言われてしまったようです。ちなみに、敬虔なプロテスタントであるハリスは、日本の奉行などが日曜日にあたる日に訪ねてきた場合、「安息日である日曜日は仕事をしません!」と言って頑なに断っています(注1)。
役人が「ペリー提督との交渉時はそんなことはなかった」(注2)と主張しても、拒否して自分の姿勢を貫いています。

 

注1:日曜日を「安息日」として休日とする考え方はユダヤ教キリスト教からきており、日本では太陽暦が取り入れられた明治以降に普及しました。


注2:この役人の主張は誤りのようで、記録によればペリー提督も、どんなに位が高い役人が艦を訪れても日曜日は断り続けていたようです。

 

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サテライツ農場 鹿児島県曽於市

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サテライツという農場を訪ねてきました。

ここは鶏たちの終生飼育を行う数少ない採卵養鶏場です。

鹿児島市から日豊本線桜島をぐるっとまわって山深い霧島連峰を抜けた、鹿児島県曽於市にサテライツはあります。


敷地に入ると、駐車している車の横でヤギが草を食んでおり、その奥で鶏が歩きまわっています。

サテライツの代表・川原嵩信さんは「人も鶏も無理をしない養鶏」をモットーに、少数羽の放し飼い飼育「庭先養鶏」を行っておられます。

庭先に放し飼いにされた鶏たちは、好きなときに好きな場所で、餌をつついたり草陰で羽を休めたりしています。

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何よりもすごいのは、サテライツでは鶏たちが本来の寿命まで生きることができることです。

鶏の寿命は本来10年以上あります。しかし日本の現在の採卵養鶏では、生産効率から鶏のほとんどが2年弱で廃鶏として屠殺されてしまうのが現状です。

バタリーケージという飼育方法で、一羽につきiPad一枚ぶんのスペースしかないケージの中で、鶏たちは土に触れることも太陽を目にすることもない、羽すらを広げることもできないまま、一生を過ごすことを強要され続けています。

ヨーロッパではすでに禁止されている飼育法ですが、日本の採卵養鶏場の約95%はこの方法で鶏を飼育しています。

 

2020年の東京オリンピックに参加する多数の選手たちが、東京オリンピックパラリンピックで提供される畜産物について、世界が受け入れるアニマルウェルフェアのクオリティに達していないとして、世界的なアニマルウェルフェアの基準を満たした畜産物(鶏は100%ケージフリー、豚は100%妊娠豚用の飼育柵を使わない)を提供するよう、東京都知事東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会へ嘆願する声明が発表されています。

 

このような家畜の生態を無視した飼育方法は、戦後の高度経済成長期に、大量生産、効率重視の中で広まりました。
現在スーパーなどに並んでいる卵は安いもので1パック100円(8.3円/1個)です。
「いただきます」という言葉にこめられているように、わたしたち日本人は食物としていただく命あるものへの感謝や敬いの精神を持っていますが、これらを見ると、その精神からは大きくかけ離れてしまっていることがわかります。

 

卵は、母鶏の血肉から生まれるものです。
昔は卵が貴重だったという話を聞くことがあります。江戸時代の卵の単価は約400円/1個と言われています。このことからもわかるように、卵は本来そう簡単に手に入れられるものではないのです。

一度にできるだけ大量に安く生産することが当たり前になった現代においては、本来の価値が極度に軽くなってしまっているのではないかと思います。

 

サテライツでは庭や家の周りを鶏たちが走りまわったり、草陰で休んだり砂浴びをしたりしています。
雄雄しく力強いオスの、黒光りするまっすぐな尾。やわらかくふんわりとした羽毛のメス。
彼ら本来の美しさが保たれています。
まるで伊藤若冲日本画から抜け出してきたような完璧な姿に圧倒されました。

あまりにも鮮麗で美しすぎる若冲の絵にはいくらか誇張があるのでは?と常々思っていたのですが、サテライツで彼らの本当の姿を目にし、若冲の絵は誇張ではなく彼らの姿をそのまま写していたことを思い知りました。

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何より驚いたのが、彼らの太くてたくましい足です。
鋭い爪でしっかりと地面を掴んで歩いています。

バタリー飼育という飼育方法がいかに異常な状態であるかが実感としてわかりました。
えさとみると一目散に駆け寄って来て、地面をつつく振動が隣に立つ私の足にも伝わってきます。

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砂浴びや日光浴をするメスたちのそばで、オスはできるだけ遠くまで見ようとするように背を伸ばし、外敵から彼女らを守るための監視を怠りません。
わたしが近づくと、少しずつ近づいて様子を伺っているのがわかりました。
鶏の群れはボスを頂点として30-60羽くらいがいちばん落ち着くそうです。

 

サテライツでは、自社の敷地だけではなく、近隣の農家さんにも鶏たちを委託して育ててもらう委託型養鶏も行っています。 

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委託農家さん宅での鶏たち

また、鹿児島県曽於市では、関西大学と共同で「持続可能な開発目標(Sustanable Development Goal)」としてSUKIMAプロジェクトという活動をスタートさせています。
「持続可能な開発目標」は、2015年、国連加盟国150カ国以上の合意をもとに始まった世界的なプロジェクトで、持続可能な消費と生産、教育、貧困の解消など様々な角度から取り組みをおこなっていくというものです。
それをお手本に、市の持続的な発展のため、地元の企業と住民とがお互いにパートナーシップを結び、市の課題を協力して取り組み、発展させていこうというプロジェクトです。

養鶏業のサテライツをはじめ、さまざまな農家や企業が参加しています。

 

鶏たちの本来の生態を尊重したサテライツでの飼育法を見ることで、「命を戴く」という言葉の重みを、もうひと掘りして考えるきっかけになればと思います。

福島20キロ圏内の動物と人々(英語)Farm animals report in Fukushima 2017 summer

Tani's project for farm animals in nuclear exclusion zone.

 

A fog descending from the mountain gives moisture to trees and grass. Cows are munching grass and looking down on me. This peaceful idyllic scenery makes me forget that this area is off limits.
my Geiger counter indicates 0.5 micro Sievert. This is ten times higher than normal values. In this nuclear exclusion zone in Okuma town Fukushima, these serviced cows are not allowed to evacuate or to be sold because they are affected by radiation since 2011.
There are some people who have been taking care these cows since the nuclear disaster. Satsuki Tani is the one of them.
From here, Tani and cows are trying to propose a sustainable way to restore "Hometown".
The project is "Mowing", to have cows eat overgrown trees and grass in exclusion zone.  

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 On March 2011、a Tsunami trigged by a massive earthquake struck the power plant in Fukushima and caused a serious nuclear disaster. Residents within a 20km (12miles) radius of the plant were forced to evacuate but animals were left behind.
Residents were not allowed to bring their pets to evacuation sites. They couldn't return to home for a long time. As a result, harnessed dogs starved to death and cats ate each other inside locked houses. The situation for livestock was even worse.


There are about 4000 cows, 30,000 pigs, and 630,000 chickens that were left behind in this area.
Some of them managed to escape by braking out of their barns. Others were released by their owners and volunteers. But most of them starved to death inside of locked barns.
Unlike pets they were not allowed to evacuate to outside the area.
Cows that were still alive were tied up in locked stall barns filled with feces and dead bodies of other cows. Pigs were barely able to breathe in barns filled with other dead pig bodies being stacked one on top of the other. Chickens were crused or eaten by rats alive inside battery cages.

 

In Japan, Animal welfare and protection law is not well developed especially for livestock. There are no laws requiring owners to evacuate their livestock in case of emergency evacuation situations.
On May 2011, the Nuclear Accidents and Impact on Animals Committee presented a recommendation to "ensure the rapid movement of viable animals out of the affected areas" but the Japanese government directed to kill all livestock in the area regardless of whether they were affected by radiation or not. One government official referred to livestock that survived as "Moving trash".
Farmers were forced to agree to kill their beloved ones. Some owners became mentally depressed or committed suicide from the deep sadness and hopelessness.

 

Tani had originally lived in Shizuoka over 450km (280 mile) away from Fukushima. The first time she met the cows was when she visited Fukushima to rescue animals. Seeing the cruel condition of farm animals were facing, Tani made the decision to rescue them.

Each cow recognizes their name. When their name is called, they will turn around to look or respond by moving their ears.Their gentle gaze and shiny coat show that they are well cared for by Tani. Excluding the problem of high radiation levels, this place is a sanctuary for these cows. 

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In Japan, there are no shelters for farm animals which are defined as being “industrial Animals”. Some people question the meaning of feeding livestock which make no profit.

"Traditionally, we Japanese and cows were in a relationship to be helped each other. We were both in the circulation of nature." Tani said.

Until the 1960's, we could see cows helping plow fields and carry heavy things in countryside.
But now, machines have taken over this task. Industrialization focusing on efficiency decreased farm field and changed the way of farming. Now, the majority of farms are Factory farms in Japan. More than 95% of laying hens are in battery cages. Cows and pigs are raised in stall barns without sunlight or soil for their entire life.
While concentrating solely on efficiently generating large amounts of profits and developing the economy, we hadn't turned our attention to the background of the production. And then, the nuclear disaster occurred. 

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Decreasing the area of farm fields which retained a function to be a border between human habitations and mountain also resulting in unintended contact, as wild animals began to come out from mountain and raid crops on the farms. These animals are killed to protect agriculture and infrastructure. The same phenomenon is occurred in exclusion zone.

Since the zone is restricted, trees and grass have overgrown to human height. Wild boars dig up rice and farm fields as well as resident's yards. Racoon dog, fox, rabbit are run over by cars on the road.

 Residents can only watch the hometown is being swallowed by mountains.

The evacuation sites are far from the exclusion zone and entering to the zone is restricted. Since the disaster,residents who had supported each other have become scattered apart and their relationships are fading.

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"Cow's Mowing" is resolving this issue. Kudzu(Japanese vine species), Susuki(Miscanthus sinensis), Goldenrot. These plants which occupying the zone are cow’s favorites to eat. By allowing the cows to mow, fields have begun to return to their original shape. "Mowing" also can helps prevent forest fires as well as providing clear lines of sight to reduce crime.

 

This place Ubagami in Okuma town is the second place for mowing. Cutting trees and place fences. Tani and elder land-owner of this place worked together. Years has passed, supporters are increasing. Tani also calls more residents to participate in this project.

 

Tani says ”This exclusion zone is full of painful memories. We, human must know the suffering of livestock animals who have died in pain. At this place, I'd like to make good memories for future with the surviving cattle.” 

ウォールストリートを占拠せよ・ニューヨーク、ズコッティ公園取材記事 (Article about OWS in 2012 )

この記事は2012年 インパクション183号に掲載されています。

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11月半ば、オキュパイ・ウォールストリート(以下OWS)本拠地であるズコッティ公園で大規模な撤去が行われたものの、その後も全米各地ではOWSに呼応した活動が行われている。
11月2日オークランドのデモをはじめとして、12月にはシアトル、ロサンゼルス、ロングビーチ、サンディエゴなど西海岸の港の一斉占拠が行われた。マースクやCMACGMなど世界の海運コングロマリットのコンテナ船が寄港するこれらの港は、アメリカと環太平洋地域の国際海上貨物輸送を支える重要な拠点である。
アメリカ主要メディアは「占拠によって港内のトラック運転手などは仕事が滞り困惑している」と報道するところもあったが、OWSに寄せられた各港のトラック運転手代表によるオープンレターには、民主的なデモに触発されたというメッセージとともに、港で船荷運搬に携わる彼らの劣悪な職場環境が明らかにされていた。


 会社は彼らを正社員ではなく契約社員として扱い、給料からは燃料費、保険、登録費など、さまざまな名前をつけた経費が差し引かれる。ターミナルや港には運転手用のトイレがなく、ボトルやビニール袋を運転席に携帯している現状、トイレの設置を求めて運動をした者は解雇されてしまった。会社の強要する無理な節約が職場の安全を損ねており、欠陥機器、記録の改ざん、検査漏れを警告しようものなら、解雇か、二度と同じ仕事に就けなくなるという。組合どころか、上司に直接合うことも許されない。プロの運送業者として誇りを持ちながらも、会社からの奴隷のような扱いに日々屈辱を感じさせられると訴えている。


 ロサンゼルス港とロングビーチ港は全米屈指の貨物取引量を誇るターミナルで、アジアからの物資が全米へ向けて輸送される海運と陸運の中継地点である。周辺には高速道路が走り、南カリフォルニアの公害の約三〇%は港のトラックの排気ガスによるものだ。特にロングビーチ南カリフォルニアの一二の地域の中でもディーゼルの燃焼によって排出される元素状炭素のレベルがもっとも高く、子供たちの多くがぜんそくを発症している。 
12月の港占拠で「沿岸のウォール街」の1%としてデモ参加者がターゲットとしたのはEGT(穀物輸出ターミナル)とゴールドマンサックスである。ゴールドマンサックスは全米最大のコンテナターミナル運営会社SSAマリーンの親会社であるカリックス社に出資し、ワシントン州ロングビューにあるEGTは巨大総合穀物会社のバンジ(Bunge Limited)、韓国の海運会社STXパン・オーシャンが所有、運営には日本の伊藤忠商事も参加している。EGTに反対する運動は港湾労働者で組織された国際港湾倉庫労働組合(ILWU)によって以前から行われていたが、港の占拠が行われた日、これに呼応する形で日本でも伊藤忠商事の本社前で抗議行動が行われた。彼らは伊藤忠商事とTPPの関係も指摘している。


 アメリカでいち納税者として生活して五年。風邪で一回通院するだけで二〇〇ドル近くかかる高額な医療費。さまざまな制限がある複雑極まりない民間保険システムなど、お金がなければ健康維持もできない仕組みに疑問を感じる中、二年前に工場制畜産のリサーチをはじめるようになり、利潤のみを追求した大量消費型巨大システムの一部にすぎない自分の生活が見えてきた。 

 2009年、アイオワ州の卵工場に潜入した活動家が録画した、生きたまま肉挽き器にかけられるヒヨコの映像が衝撃をよんだことがある。卵を産まず、肉として売るにも実益にならない雄のヒヨコは産まれてすぐ肉挽き器ですり潰され、その肉はドッグフードか肥料になる。家畜へのこうした残酷な扱いは食肉や乳製品用の動物にも同様に
行われている。毎日の消費生活で、自分で選び購入する商品がどんな過程を経ているのか、わたしたちは知らない。 

 食肉を加工する工場で働くのは働けるビザを持たない南米からの不法移民である。ニューヨークでもレストランの裏方では南米出身のヒスパニックが多く働いている。彼らの中には州の最低時給以下で働かされている者もいる。

 

 オークランドで大規模なデモが敢行された11月2日、ウォール街証券取引所の前では退役軍人たちによる行進が行われた。彼らは帰還後、戦場のPTSTを抱えたまま普通の生活に放り出され、健康保険や学費扶助など、入隊時に約束されていたはずの退役軍人局からのサポートも十分に受けられない。社会復帰できずにホームレスになる帰還兵も少なくない。リクルートセンターは街のいたるところにあり、高校を卒業した若者は学費や健康保険のために軍隊に入る。「国へ奉仕は、相応の恩恵を生む」という考え方の裏には、お金もなく仕事もない人たちは軍に入らなければ最低限の生活も保障されないという現実が隠れている。


 急速な近代化と経済発展を経て、人類が歩んできたどの時代よりも豊かな生活を謳歌しているはずのわたしたちは、いま極めて不平等で狂暴なシステムの中に生かされている。グローバル化の名の下に瞬く間に世界を巻き込んだそのシステムは神がかり的に巨大で、その姿をとらえるのが難しい。
 フェイスブック上に、第二次世界大戦に従軍した若者とウォール街でデモをする若者の写真を並べ、「1944年、20歳の若者は全てを捧げていた。2011年、若者は全てを欲しがっている」と皮肉るポストを見たことがある。その下には「デモに参加者ももっと努力をすればそれ相応の仕事につけるはず」というコメントが書かれてあった。 だが、問題の表面だけを取って見ることほど危険なことはない。いまわたし達が思想や将来の夢に至るまで丸ごと組み込まれているシステムは、その部品である人間を思考停止させることでより巨大に膨れていく仕組みだからだ。
 これらを紐解くと、様々な矛盾の要因が見えてくる。なぜヒヨコは生きたまま肉挽き器にかけられるのか、なぜ休む暇もなく働いて必要最低限の保障も確保されないのか、なぜ、ひとたび事故が起こればそこに住む生物からなにもかもを永久に奪う危険のある発電所が稼動し続けるのか。
 利益と効率のみを優先させた仕組みの中では、人間だけでなく動物も植物も自然なままの姿で生きることも許されない。

 アメリカでは高額な医療費それだけでも中間層が貧困層に容易く転落する用意ができているが、生活保障と月々の支払いのために身を粉にして働き、苛立ちを募らせながらも、ホリデーにはショッピングに出て当たり前のように消費活動を続ける。クリスマスシーズンが終わると、ニューヨークの道端にはクリスマスツリーに使われた生木がゴミと一緒転がっている。


 撤去前、ズゴッティ公園には「花を踏まないでください」というデモ参加者による手づくりの注意書きがあった。彼らは花を踏まないのだ。
 「ストリートで会いましょう」Re-occupy(再占拠)として行われた12月18日のデモの呼びかけにはそんなメッセージが元気よく掲げられていた。同じ日には「移民も99%の一部」として、ヒスパニックを中心にデモも行われている。インターネットを駆使し、全米、全世界の支持者と繋がりながら、彼らはface to face(直に向かい合うこと)を忘れない。

福島の震災で取り残された動物たちの記録 (Report in Fukushima 2011 summer )

Report was published by Actio below

この記事はActioに掲載させていただきました↓↓

福島原発20km圏内 時が停止した故郷と取り残された動物たち 阪本喜子 | 市民メディアActio