お寺の鐘と時間の感覚のはなし

近所のお寺の鐘が鳴りました。
時計を見ると午後5時ちょうどです。

 

このお寺はいつも朝の6時と夕方5時を知らせてくれます。

 

お寺は道を隔てた真隣にあるので結構音が大きく、朝はマンションの上階の住人が慌てて起きる音が聞こえます。

 

1分ほど遅れたりするときもありますが、ほぼ時間ジャストです。

 

1分は60秒、ということは鐘は60秒以内に鳴らす必要があります。ちょうどに鳴らすためにスタンバイしてるのかな、とか考えて、現代のお坊さんも大変だなと思いました。

 

現代のわたしたちが時をはかる基準にしているのはヨーロッパからもたらされた24時制の定時法で、1872(明治5)年「改暦の布告」で太陽暦が採用されると同時に導入されました。

 

それより以前、時間の流れ方はもっとゆるやかでした。

 

そもそも、近代以前の日本には時計がありません。

日時計水時計などはありましたが、24時間刻みの西洋の時計は、大名のお殿様や一部のお金持ちなどが趣味で持っている程度で、西洋の24時制がもたらされる以前の日本は、時刻は日の長さによって進み方が変わっていました。

 

時間を正確に表すため、時計の前身である振り子やゼンマイが発展したのは15~16世紀ごろ、現代の時計につながる誤差の少ない精度の高い「クロノメーター」が発明されたのは18世紀のことです。

 

明け六つ(日の出)から暮れ六つ(日没)、そして次の明け六つまで、
子の刻(暁九つ・午前0時ごろ)、丑の刻(暁八つ・午前2時ごろ)など十二支を用いて表し、一刻は約二時間、その半分は「半刻(約一時間)」、その半分は「四半刻(約30分)」としていました。日照時間によってきまるので夏は昼が長く、冬は短くなったりします。

 

一刻は約二時間の範囲があるので、「~刻に~で待ち合わせね」となったときは、現代のように1分1秒刻みではなく、二時間の猶予(四半刻でも30分の猶予)があることになります。そもそも、1分=60秒という概念も存在しておらず、お寺の鐘も1分以内に鳴らす必要はなかったと思われます。

 

日の長さによって進み方の変わる時刻法を「不定時法」といい、現代のように24時間一定の進み方をする時刻法は「定時法」といいます。

 

開国後、明治時代に定時法が導入されたことで、

1刻=2時間だった時間の幅が1分、1秒というくくりになり、それまで穏やかだった時間が大きく変化していくことになります。一日の労働時間や睡眠時間が変化し始めたのもこの頃です。

 

近代以降の日本人は時計時間に支配されるようになったともいえると思います。

 

1日は24時間、一定の速さで流れるものというのが一般的ですが、そもそも地球の自転と公転の関係で一日は24時間きっかりではなく一年も365日きっかりではありません。
子供の頃より大人になってからの方が時間が早く過ぎ去るように感じたり(大人は「時計時間」、子供は「出来事時間」で動いている)、時が過ぎ去る時間そのものも人間の意識によって変化するという説もあるので、なるべくなら穏やかな前近代的時間で過ごすようにしたいと思う今日この頃です。