外国人が見た日本(近代以前の日本に見る動物との共生)はじめに

日本のアニマルウェルフェアを考えるとき、日本の牛や豚や鶏たちにとって大きな転機となった時期が、近代に二つあります。
ひとつは西洋の「畜産」が普及し始めた明治維新前後、もう一つは現代の畜産形態である『工場畜産(集約的畜産)』が普及し始めた戦後です。

 

現代につながる西洋の「畜産」という概念が日本にも普及し始めたのは今から150年ほど前、日本が開国をし始めた幕末から明治のはじめごろになります。特に、明治政府が国を挙げて西欧の文化や風習を取り入れ始めた明治維新後は、日本にあったそれまでの考え方や信仰、生活習慣、ありとあらゆるものが否定されたり、がらりと変わっていった時代でもあります。

 

急速に消えていこうとしていた日本土着の信仰や伝承を書き留めておかねばと、(消滅を危惧して)柳田国男の『遠野物語』(明治43年)や、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』(明治37年)もこのころに書かれました。
岡倉天心が日本の茶道を西洋に紹介するため原文が英語の『茶の本(The Book of Tea)』(明治39年)が書かれたのもこの頃です。この大きな転換点を、お雇い外国人として日本で過ごしたバジル・チェンバレンは『日本事物誌』(明治23年)の中で「古い日本は死んでしまった」とまで書いています。

 

日本人の動物との関り方も大きく変わっていったのもこの頃のようです。
それから約150年、いまではもう目にすることのできなくなった、西洋の文化や常識が入り込んでくる以前の、わたしたち日本人の原風景を、動物と人間との共生を中心にみていきたいと思います。