外国人が見た日本(近代以前の日本に見る動物との共生)~たまご~

鶏についての記事で卵にも触れましたが、
今回はその「卵」について、もう少し深くみていこうと思います。

 

以前の記事でも書いたとおり、鶏は古来から霊鳥とされていました。
古事記』では天照大神が天岩戸に隠れ世界が闇に覆われてしまったとき、「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」である鶏を鳴かせて岩戸から出そうとしたという記述があります。

 

卵については、『日本書紀』に天地開闢は以下のような記述があります。

”古に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき、渾沌(まろか)れたること鶏子の如くして、溟涬(ほのか)にして牙(きざし)を含めり。”

『鶏子』とは卵のことで、天地開闢の陰陽を卵の黄身と白身に例え、宇宙の混沌を表しています。

 

日本の伝統色にも『鳥の子色(とりのこいろ』という色があります。
鎌倉時代の発祥とされるこの色は淡い黄色のことで、「鳥の子」とはヒヨコではなく玉子の殻の色に由来するようです。

 

鳥の子色とは別に『玉子色 』という伝統色もありますが、こちらは殻の色ではなく黄身に由来する明るい黄色のことで、この色は江戸時代になって登場しました。

 

イザベラ・バードが『日本奥地紀行』で「食用のためにはいくらお金を出しても売ろうとしない。だが、卵を生ませるために飼うというのであれば、喜んで手放す。」、アーサー・クロウが「日本内陸紀行」で「日本人はめったにその家禽を、殺されると分かっていれば、手放そうとしない。もっとも、その玉子をとるのは平気である」と書いているように、卵を食べることが庶民の間に普及し始めたのも江戸時代ごろと言われています。

 

しかしこの頃、卵は1個400円もする高価なものでした。

 

現在、母鶏は一日約一個の割合で生むとされていますが、元来、日照時間の短い冬は卵をほとんど産まず、夏でも3~5日に一個程度だったようです。人間がより多くの卵を採取するために品種改良を加えつづけた結果、このように多くの卵を産む鶏ができました。

 

母鶏が文字通り身を削って生み出す卵は肉と同じ畜産物であり、栄養価もとても高いため、もともと日常的に消費されるようなものではなく、滋養のために食べるという意識が強かったようです。

 

昭和20年代ごろまでは卵は高価なものとされていましたが、戦後の高度経済成長を経て、大量消費の需要を賄うため多数の鶏を狭いケージに詰め込んで飼育管理するバタリーケージが導入されました。大量消費社会の象徴でもあるバタリーケージ飼育は、現在、日本の養鶏場の9割以上を占めていますが、ヨーロッパでは10年以上前に禁止されています。


太陽の光もなく、土も踏めず、なにより鶏が羽を広げることすらできない過密飼育は、鶏にとって残酷であるだけでなく、鶏本来の持つ免疫力を損ねるためサルモネラ菌などの発生率も高くなっています。

 

ヨーロッパでは鶏だけでなく豚や他の畜産動物に対してもケージ飼育をやめていく方針を示しています。

 

日本の卵の消費量は世界第二位(国際鶏卵委員会(IEC)による2020年の統計)、
他の国と違って、元来それほど卵を消費する習慣のなかった日本人にとってこの数字は食べすぎともいえる消費量となっています。

 

鳥インフルエンザの影響で価格が高騰している卵ですが、この機会に卵の消費について見直してみるのもいいかもしれませんね。

 

お寺の鐘と時間の感覚のはなし

近所のお寺の鐘が鳴りました。
時計を見ると午後5時ちょうどです。

 

このお寺はいつも朝の6時と夕方5時を知らせてくれます。

 

お寺は道を隔てた真隣にあるので結構音が大きく、朝はマンションの上階の住人が慌てて起きる音が聞こえます。

 

1分ほど遅れたりするときもありますが、ほぼ時間ジャストです。

 

1分は60秒、ということは鐘は60秒以内に鳴らす必要があります。ちょうどに鳴らすためにスタンバイしてるのかな、とか考えて、現代のお坊さんも大変だなと思いました。

 

現代のわたしたちが時をはかる基準にしているのはヨーロッパからもたらされた24時制の定時法で、1872(明治5)年「改暦の布告」で太陽暦が採用されると同時に導入されました。

 

それより以前、時間の流れ方はもっとゆるやかでした。

 

そもそも、近代以前の日本には時計がありません。

日時計水時計などはありましたが、24時間刻みの西洋の時計は、大名のお殿様や一部のお金持ちなどが趣味で持っている程度で、西洋の24時制がもたらされる以前の日本は、時刻は日の長さによって進み方が変わっていました。

 

時間を正確に表すため、時計の前身である振り子やゼンマイが発展したのは15~16世紀ごろ、現代の時計につながる誤差の少ない精度の高い「クロノメーター」が発明されたのは18世紀のことです。

 

明け六つ(日の出)から暮れ六つ(日没)、そして次の明け六つまで、
子の刻(暁九つ・午前0時ごろ)、丑の刻(暁八つ・午前2時ごろ)など十二支を用いて表し、一刻は約二時間、その半分は「半刻(約一時間)」、その半分は「四半刻(約30分)」としていました。日照時間によってきまるので夏は昼が長く、冬は短くなったりします。

 

一刻は約二時間の範囲があるので、「~刻に~で待ち合わせね」となったときは、現代のように1分1秒刻みではなく、二時間の猶予(四半刻でも30分の猶予)があることになります。そもそも、1分=60秒という概念も存在しておらず、お寺の鐘も1分以内に鳴らす必要はなかったと思われます。

 

日の長さによって進み方の変わる時刻法を「不定時法」といい、現代のように24時間一定の進み方をする時刻法は「定時法」といいます。

 

開国後、明治時代に定時法が導入されたことで、

1刻=2時間だった時間の幅が1分、1秒というくくりになり、それまで穏やかだった時間が大きく変化していくことになります。一日の労働時間や睡眠時間が変化し始めたのもこの頃です。

 

近代以降の日本人は時計時間に支配されるようになったともいえると思います。

 

1日は24時間、一定の速さで流れるものというのが一般的ですが、そもそも地球の自転と公転の関係で一日は24時間きっかりではなく一年も365日きっかりではありません。
子供の頃より大人になってからの方が時間が早く過ぎ去るように感じたり(大人は「時計時間」、子供は「出来事時間」で動いている)、時が過ぎ去る時間そのものも人間の意識によって変化するという説もあるので、なるべくなら穏やかな前近代的時間で過ごすようにしたいと思う今日この頃です。

 

外国人が見た日本(近代以前の日本に見る動物との共生)はじめに

日本のアニマルウェルフェアを考えるとき、日本の牛や豚や鶏たちにとって大きな転機となった時期が、近代に二つあります。
ひとつは西洋の「畜産」が普及し始めた明治維新前後、もう一つは現代の畜産形態である『工場畜産(集約的畜産)』が普及し始めた戦後です。

 

現代につながる西洋の「畜産」という概念が日本にも普及し始めたのは今から150年ほど前、日本が開国をし始めた幕末から明治のはじめごろになります。特に、明治政府が国を挙げて西欧の文化や風習を取り入れ始めた明治維新後は、日本にあったそれまでの考え方や信仰、生活習慣、ありとあらゆるものが否定されたり、がらりと変わっていった時代でもあります。

 

急速に消えていこうとしていた日本土着の信仰や伝承を書き留めておかねばと、(消滅を危惧して)柳田国男の『遠野物語』(明治43年)や、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』(明治37年)もこのころに書かれました。
岡倉天心が日本の茶道を西洋に紹介するため原文が英語の『茶の本(The Book of Tea)』(明治39年)が書かれたのもこの頃です。この大きな転換点を、お雇い外国人として日本で過ごしたバジル・チェンバレンは『日本事物誌』(明治23年)の中で「古い日本は死んでしまった」とまで書いています。

 

日本人の動物との関り方も大きく変わっていったのもこの頃のようです。
それから約150年、いまではもう目にすることのできなくなった、西洋の文化や常識が入り込んでくる以前の、わたしたち日本人の原風景を、動物と人間との共生を中心にみていきたいと思います。

外国人が見た日本(近代以前の日本にみる動物との共生 )〜鳥類と日本人 その3〜

ハリスは日記の中で、「帰途、わたしはこれまで見たうちで最も大きい鸛(コウノトリ)の群れを見た。日本では、あらゆる種類の野生の動物(用心深い鴉まで)が、驚くほど人馴れしている。日本の少年たちが、コーカサス人種のような破壊的風習に耽ることのないことを示すものだ。鸛は一年中この土地にとどまっているし、雁も冬の塒(ねぐら)をこの地に定める。」と書いています。

 

鸛(コウノトリ)は、この後もハリスの日記に何度か出てきます。
また、ハリスの通訳兼書記として日本を訪れたヘンリー・ヒュースケンは『ヒュースケン日本日記(Japan Journal)』の中で、「神奈川と江戸の中間でたくさんの鸛(コウノトリ)を見たことがある。大型で、羽の白さは類がない。これを殺すことは禁じられている」と書いています。

 

鳥の数が多いという記述は上記以外の外国人の記録にも多々出てきます。その理由は、江戸時代を通じて行われていた「鷹狩」の影響が大きいようです。

 

「鷹狩り」とは、飼いならした鷹を放って鳥や小動物を狩る狩猟の一種で、世界では紀元前からモンゴルや中国、インドなどで行われ、日本では古く仁徳天皇の時代から行われていたという記録があります。
狩りの対象になるのは白鳥(しらとり)や雉、鷺、鴨、などで、「白鳥(しらとり)」とは白鳥(ハクチョウ)のほか鶴や白鷺、鸛など羽の白い鳥の総称としても用いられていたようです。
「鷹狩り」は、単なる遊興以上に、朝廷や大名間の重要な儀礼として行われており、特に鶴は「鶴御成」として将軍が天皇に献上したり、大名間の贈答用として特別だったようです。江戸時代は将軍の狩場『御留場』として江戸十里四方を獲物となる鳥の鳥追いや殺生を禁じていました。

 

御留場に指定された土地には鳥見役などの役人ががおかれ、生息地に不審者が入り込んだら報告する、鳥を襲う可能性がある野良犬は追い払う、鳥を襲わないよう飼い犬は繋いでおく、鳥のエサになる川の魚は獲らない、雛が落ちているのを見つけたら保護してエサを与える、などが行われていたようです。

 

こういった保護政策は、現代のような「種の保存」や「生態系」のためというより、狩りの獲物である鳥の生息環境を維持するためといった要素が強いです。
なので、狩りの獲物にならない鳥や、鳥の雛を食べるトンビは伊豆大島へ放鳥されたり巣が取り払われたり、現代の生態系保全の意識からは大きく外れた対応をしていた記録がいくつも見られます。

 

また、御留場に限らず、「猟師以外は鳥獣をとってはいけない、猟師も鶴としらとりは獲ってはいけない」という一文や、その他の鳥類に対しても、稲などを食い荒らすリスクがあるにも関わらず、鉄砲で撃ってもいいのは作物に被害を与える畜類のみで、鳥類は案山子やとりおどしでの対応に限られていたという記録も見られ、一般には「鳥は獲ってはいけない」という認識が浸透していたようです。

狩り=殺生ということで「生類憐みの令」で知られる綱吉の時代には廃止されたこともあったようですが、そうなると一般人による乱獲が増えたり、鳥類のために保全が行われていた森林が荒れはてたりといったこともあったようです。
いったん廃止になった鷹狩ですが、八代将軍吉宗のころに復活し幕末まで続いていました。

 

飛行機恐怖症の対処法

前回、飛行機のお話をしましたが、わたしなりの対処法について書いていこうと思います。

 

「飛行機が怖くて」という話をすると「お酒飲んで寝ときなよ」とよく言われるのですが、飛行機に乗って空を飛んでいることの恐怖と緊張でお酒を飲んでも眠れません。

なので、以下わたしが対処法としていることを書きます。

 

搭乗した後編

ひたすら映画やテレビを見る(映画の世界に没入する)

機内エンターテイメントでは最新の映画などが無料で鑑賞できるので、気になる映画を見つけてはひたすら鑑賞しています。目が疲れてくるのでわたしは3本ぐらいが限界ですが。他には書き物やメールの返信など、事務的な用事に没頭することで飛行機に乗っていることを一時的にでも忘れ、仕事もはかどります。

景色を楽しむ

これは高所恐怖症など人によっては無理な方もいらっしゃるかもなのですが、もしそうでないなら景色を楽しむことをおすすめします。
機内エンターテイメント同様、座席前のテレビでは航空機の現在地情報(高度、目的地までの距離、飛行している位置を示した地図など)も見ることができます。自分がいま世界地図の中のどこにいるのかがわかるので、それを見ながら景色を楽しんでいます。
NY-成田間だと、アラスカの氷原の中に通る一本道や川、紅葉の季節のカナダの森林。夜は大気に邪魔されない澄んだ星の輝きやそれに照らされた雲海の美しさなどは恐怖を忘れさせてくれます。
たまに「ここから落ちたら確実に死ぬな」とか思ってしまったりしますが。

CAさんの様子を見る。お話ししたりもいい

日常的に飛行機に乗るCAさんは、やばい時と大丈夫な時がわかっておられると思います。結構ハードな乱気流でも平然とされているのを見ると「大丈夫なんだ」と心を落ち着かせることができます。

 

搭乗する前編

頻繁に飛行機を使っている人と話す、またはその人たちのことを考える

CAさんの場合もそうですが、ビジネスなどで毎日のように飛行機を利用している方も多いと思います。でも事故に巻き込まれて死んでしまった人の話はわたしの周りではいまのところ皆無です。その事実を思い出すだけでも気持ちが楽になります。

 

悟りの境地(これが一番効く)

いままでやることやったし、思い残すことはないと死ぬ覚悟をする。
車だと自分で運転できますが、飛行機ばかりは搭乗したらもうパイロットの腕に身を任せるしかありません。ここで死ぬということはわたしのこの世での役割はここまでだということなのだと覚悟を決めます。これができると憑き物が落ちたように気持ちが軽くなったりします。この覚悟を年一回ぐらいの頻度でしていたおかげか、毎日を思い残すことがないようせいいっぱい生きる習慣がついた気がしています。

視覚から気持ちを安心させる

これは搭乗の数日前など飛行機が怖くなった時見るといいです。友人が「これを見るとましになるかもよ」とすすめてくれたもの↓↓

www.flightradar24.com

世界中の飛行機の運行状況が一目で見られるサイトです。ものすごい数の飛行機がいまこの瞬間世界各地で運航していることがわかり、これだけの数が毎日事故もなくふつうに運航してるんだなと視覚で納得することができます。飛行機をクリックすると出発地と目的地、発着時間などの詳細も見ることができます。たまにプライベートジェットや軍用機なども飛んでます。全世界の飛行機の運行状況がリアルタイムでわかるので旅行した気分になって楽しいです。

 

ご参考になるかはわかりませんが、わたしと同じ飛行機恐怖症のかたの気持ちが少しでもやわらぐことを願っています。

 

 

トルコの犬事情

前回、江戸時代の犬の記事で触れた現代トルコの犬事情を少し紹介させていただきたいと思います。

 

路上の犬猫が堂々と人間と共存していると言われているトルコですが、現地ではどのよになっているのでしょうか?

 

トルコを頻繁に行き来している友人の報告によると、実際、犬猫たちは街の様々な場所にいるそうです。

 

スーパーマーケットやショッピングセンターの中にも自由に出入りし、レストランでは人間用のカウチの上にも寝そべっていたり、お客さんが自分のお皿から食べものを犬や猫に分けてあげたりという光景が珍しくないそうです。
肉屋さんの周りには犬、魚屋さんの周りには猫が多くおり、お店の入口のど真ん中に寝そべっていても、人間は犬にぶつからないよう避けて通っていくそうです。地下鉄にもおり、車両に乗って移動する犬もいるということです。

 

トルコの犬猫たちは、政府によってワクチンや避妊去勢が施されており、万が一ケガをした場合も無料で治療(飼い犬の場合は飼い主負担)が受けられるそうです。
ワクチン接種済の犬の耳にはタグが付けれらており、路上でもすぐに判別できるようになっているそうです。

 

高級スーパーマーケットの店内で涼む犬

キャッシャー内で寝そべる犬(↑の高級スーパーでの犬と同じ犬。いろんな店を移動しているそうです)

服屋さんでくつろぐ犬

トルコ南部ボドルム近郊のスターバックスで寝そべる犬たち

テーブルについている人たちも犬にぶつからないよう注意を払いながら椅子を引くそうです

このように、犬猫たちは街のコミュニティの一員とみなされており、共存が成り立っているようです。実際、トルコの街の犬たちは餌も十分に得ることができているせいか丸々と肥えて、無防備に見えます。

 

前回の記事で、外国人たちが記した日本の犬たちの記録の中にも、「地域の犬たちは飼い主はいないがみな人によく慣れている」また、「石を投げても逃げない」などの内容がありましたが、江戸時代の日本や現代トルコをみていると、人間が動物と信頼関係を築くことができれば、動物は脅威にはなり得ないという例を目の当たりにさせてもらったように思います。

 

ある日、友人夫婦が海沿いのエリアにでかけたときのこと、そこはレストランなどが連なる観光エリアで、日が暮れはじめたのでホテルに戻ろうとしたところ、ビーチのあたりにいた一匹の犬が、彼らを道案内をするように先導してくれたそうです。
友人いわく「わたしたちが地域のゲストだとわかっていたようで、ガードしてあげないとと思ってくれたみたい」だそうです。
その地域からホテルまでは街灯も少なく暗い道が続いており、犬は、おしゃべりをしながらゆっくり歩く友人夫婦の前を先導するように歩き、しばらく行ったら彼らが追い付くのを待つなどしてくれたそうです。
30分ほどの道のりをそうやって歩き、ホテルの近くまでたどり着くと、無事を確認するように、振り返りながらもと来た道を帰っていったそうです。

 

トルコでは路上の犬猫の殺処分が原則禁止(例外あり*)されており、2021年には、動物は「商品(commodities)」ではなく「生きている存在(living being)」として権利を認める法律が議会で可決されるなどしています。

 

前出のスターバックスの写真でこちらを見る犬の表情は、彼(彼女)が自分自身であることを誇りに思っているように見えます。

 

現代の日本では、数は減少してきているものの、環境省によれば令和二年の時点で、23,764匹もの犬猫が殺処分されています。
かつて150年以上前の日本や、今回ご紹介したトルコのように、人間とは種の異なる犬猫が「命あるもの」として、お互いの存在を認め合い共存が成り立っているという光景は、新しい可能性を示してくれているようです。

 

*:トルコでは所有者のいない犬猫について、安楽死は、不治の病による痛みに苦しんでいる場合と、感染症の予防や根絶のため、また、人間の命や健康に脅威になるふるまいがあり、それが矯正不可能な場合のみ許されるとされています。

外国人が見た日本(近代以前の日本にみる動物との共生 )〜犬〜

鶏のほかにも、ハリスはさまざまな贈り物をもらっていますが、その中に、犬があります。

1857年11月15日の日記に、
「日本人が非常に立派な二匹の子犬を持ってきてくれた。丸い、弾丸のような形の頭と、短い鼻と、「キング・チャールズ・スパニエルズ」式の大きな、飛び出た目をもっているが、耳は短小で、身体の毛も短い。さもなければ、その犬そっくりなのだが。彼らがスパニエルズの原種の系統であることを疑わない。」
ハリスはこの犬に、日本の二つの首府(江戸と京都)に敬意を表して「江戸」「みやこ」と名前を付け、そのうちの「江戸」を、合衆国のスループ型艦ポーツマス号が出港する際、同艦のアンドリュー・ハル・フート艦長に贈っています。

ハリスの描写から、これは日本の「狆」ではないかと推測されます。
狆の昔の英名は「ジャパニーズ・スパニエル」といい、ペリー提督によっても数匹がアメリカ合衆国に持ち帰られたとの記録があります。

一方、庶民の住む街中では犬はいたるところで目にされていたようで、多くの外国人が記録を残しています。

ヒュースケンは「犬などは、月に向かって吠えているだけのはずなのに、何をどう間違えてか、われわれを見るとひどく騒ぎ立て、町中の犬の大合唱になり、警砲の音で馳せ集まって、われわれの跡をつけて町までくると、そこで郊外の犬に吠える権利を譲渡するのである。猫だけは外国人に対して過酷な日本の法律に従わず、無頓着にわれわれを見つめている様子であった。」

ヒュースケンの記述通り、犬はよそ者である外国人を特によく威嚇していたようです。

1859年に米国長老派教会の医療伝道宣教師として来日し、聖書を翻訳するなど30年にわたって日本に滞在した、ヘボン式ローマ字でも有名なジェームス・カーティス・ヘボンは「色々とうるさいことがあるからです。それは犬なのです。犬はたいへん多くいて、飼い主がいないのです。しかしよく肥って、人に慣れています。が外人をみるやいなやほえて逃げて行きます。犬のほえ声はつぎつぎに伝わって、街中にひびき渡るのです。」

街中の、飼い主がいない犬たちが人に慣れているという例は、他でも見られます。

エドワード・S・モースは著書の『日本その日その日(Japan Day by Day)』の中で、
「先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を通り過ぎて行く石を見た丈で、恐怖の念は更に示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬は只不思議そうに石を見る丈で、平気な顔をしていた。この後往来で別の犬に出くわしたので、態々しゃがんで石を拾い、犬めがけて投げたが、逃げもせず、私にむかって牙をむき出しもせず、単に横を飛んでいく石を見詰めるだけであった。私は子供の時から、犬というものは、人間が石を拾う動作をしただけでも後じさりをするか、逃げ出しかするということを見てきた。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである」

以前に紹介したアセンション島のアジサジの例にもみられるように、危害を加える外敵がいない地域では、動物たちも無防備になるのでしょう。
基本的にこの頃の日本の犬たちは、地域に共に暮らす一員としてみなされていたようで、餌をもらったり、ゆうゆうと道端で寝ころがることができたようです。
絵画にもそんな犬たちの様子(とくに子犬)を描いたものがたくさんあります。

磯田湖竜斎『水仙に子犬』

歌川広重『名所江戸百景 小梅堤』絵の右下に子供と遊ぶ子犬たちがいます

歌川広重『名所江戸百景 高輪うしまち』草鞋の紐で遊ぶ子犬

しかし時には、侍階級による刀の試し斬りの対象にされていたこともあったようで、エメ・アンベールは『幕末日本図絵』の中で、「刀の所有者は、その刀を人間の血で洗う機会が来るまで、それを動物で試すか、よりよくは、罪人の死骸で試している」※と書き、

1859年に英国総領事兼外交代表として来日したラザフォード・オールコックも『大君の都』(The capital of the Tycoon: A narrative of a three years’ residence in Japan)の中で、「背中をめった切りされたり、もっと恐ろしい残忍な目に合わされたりして、びっこをひいているちんばの犬をたくさん見かける」※と書いています。

犬が地域の共同体の一員として認められている例は現代でもみられます。
トルコ出身の旦那様を持ちトルコをよく行き来している友人は、トルコでは野良犬や野良猫がとてもたくさんおり、街中のどこででも寝そべっているといいます。
ショッピングモールや地下鉄、レストランの中でも寝ているし、地域の人たちも、そんな犬猫を追い払ったりしないといいます。
トルコでは、野良犬や野良猫の不妊手術は政府が行っています。もし病気やけがをした犬や猫がいた場合も、病院に連れて行けば無料で治療してくれる(飼い犬の場合は飼い主が負担)ようです。
餌にも不自由していないため、性格も穏やかで、まるまると肥えている犬が多いそうです。(トルコの詳しい犬事情についてはこちらで紹介しています)
共存が成立している地域では、江戸時代の日本の様な事が起こり得るのでしょう。

 

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この記事はアニマルライツセンターのサイトに掲載させていただいています↓

arcj.org